犬のようにただ耐える

日々を送れば、色んな事がある。
色んな事が起こる理由は、色んな人がいるからだ。
同じ人でも色んな事は起こるけど、人によって起きる出来事に比べれば、大した変化とはいえない。
一番の苦痛は、色んな事が起きると知っていることだ。

進む方向に障害があると知った上で歩くのと、知らないまま歩くのとでは、どちらが幸せなんだろう。

例えば不慮の事故。
前もって出来事を知っていれば、避けることができるだろう。
しかし、もし避けることできない出来事だったら。

我が家の犬は、家族がみんな出払って一人留守番を強いられても、雨が降ってるために散歩が中止になっても、ただひたすら耐える。
他人に文句をいうどころか、自分の存在を否定することもなく、ただ耐える。
そして、僕が仕事から帰ったきた時は、全身を使って喜ぶ。
そこまでして大喜びする姿を見ると、切なくて涙が出てくる。
「外で外道みたいな人間の相手をするために、なぜこの子が寂しい想いをしなければならないのか」

世の中には、そういう状況に置かれた人々が、それでも尚歩みを止めずに突き進んだこともあるだろう。

その動機はきっと、何かを守るためだったかもしれない。

不治の病にかかった人。
福島原発の決死隊。
太平洋戦争の特攻隊。

僕にも同じ事ができるかどうか、はっきりいって自信がない。
まったくすごい人たちだ。

他人と戦わなければ生きていけない世の中だけど、それでも歯を食いしばって生きている人を心から尊敬する。

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