執筆時間を確保する

昨日「朝早起きして原稿執筆の時間を作る!」と宣言しておきながら、早速挫折しました私ですが、みなさんいかがお過ごしですか?

だって!
朝は忙しいんですよ!

ってことで、やはり夜執筆することにしました。
23時から24時までの1時間を毎日。
これで少しは進むでしょう。

ただ、漠然と「執筆」というのでは、きっと何も進まないような気がします。
いざPCを前にしても、なかなか筆が進まなければ意味がない。

そこでルールを決めました。

「執筆時間は原稿を書く。それ以外のことはしない」

つまり、構成や構想は、執筆時間以外で行う必要があるわけです。

そこで1日のステップを決めます。

「通勤時間、昼休みなど、とにかく日中の空いた時間に、その日の執筆時間で書く内容を決める」

これです。

日中にその日の分の構成を行い、夜の執筆時間にその分を原稿に起こす。
このサイクルを毎日繰り返すことで、原稿をコンスタントに積み上げていく。

私はこのサイクルでいきます。
早速あしたから始めます。
だから今日はもう寝ます。

おやすみ〜

 

他人と話をすることの重要度がハンパない

今日、午前中から僕はフィクションのストーリーを考えていた。
家のソファーに座って、テーブルの上にノートを開いて、思いついたことを片っ端から書き留める準備を整え、物語のあらすじを考え始めた。

しかし、いざ作業を初めても、何も浮かばない。
半日考え込んだが、物語の舞台とプロローグくらいしか作れなかった。
昼ごはん食べたら、気分転換になるかと思ったが、変化なかったので諦めた。

やる気をなくした僕は気晴らしに友達の所へ行った。
彼の家の近くにあるカフェでコーヒー飲みながら話をしていた。
その流れで、午前中に思いついた物語のプロローグについて、第三者の感想を聞きたくなったので、友達に「物語思いついた」と話した。

すると、最初の方しか思い浮かばなかったストーリーが、話しているうちにどんどん膨らんでいき、僕は即興で語り始めた。
即興は調子よく続き、最終的なエンディングまでたどり着いた。
友達は笑い転げなから聞いていた。
手応えがあったというわけだ。

一人で悶々と考えていた時は全く沸いてこなかったアイデアが、考えながら話すことで、脳細胞に火がついたようだった。
おかげで、ほんの30分話しただけで、あらすじが出来上がってしまった。
これはなかなか面白い体験だった。
話すことで考えが研ぎ澄まされるのだろう。
余計な雑念が消え、想像力に集中することができた。そんな気がする。
即興もたまにはいいものだ。

なぜ文章を書く仕事がしたいのか?

小説家というより、文章書きたいと強く思った。
ビジネスではなく、何が自分にあってるのだろうと、色々考えてきたが、
「これだ!」と思ったことがある。
いわば、ジャーナリスト。ノンフィクションかもしれない。
 こういう記事があった。
アメリカで、経済困窮者のペットについて、手術代などを援助する組織だ。
フェアリー・ドッグペアレンツというそうだ。
こういう組織を取材して、自分のブログにアップしたい。
また、可能であれば日本でも設立したい。
これだ。
こういうことがしたい。
ただし、食うためにはじめたら意味がない。
なぜなら、本当はしたくないことも、生活のため、金のためにはやらなければならない。
そういう生き方をしてまで、この世に止まる理由はない。それは死にたいとかじゃなくて、一種のポリシーみたいなものだ。
こういう一線を設けなければ、「金のためならなんでもしまっせ」的な企業や人間に成り果ててしまうのだ。
それだけはいやだ。

プロットが進まない理由

それはプロットが面白くないから。
プロットが面白いと結構進む。
但し、全体的にテコ入れが必要な場合と、プロット組み直すだけいい場合がある。

ではどうすればいいか。
いいものを作るためには数をこなすしかない。陶芸家が多数作った器から良いものを選ぶように。写真家もしかり。デザインもしかり。
つまり、可能な限り時間をかけろということだね。