希望

来年になったら諸々好転するはず。特に根拠はないけど、 今はそれを寄りどころに生きている。
実際はどうなるわからんが、その時はその時点の更に未来に希望をもって生きていく。
ずっとそうやって前に進んできた。

実際、自分の過去を振り返ると、いい時期もあれば悪い時期もある。
ということは、悪い時期が終わり、いい時期がやってくる。
そして、更に冷静に振り返ると、悪い時期の到来頻度が、若い頃に比べて減っているような気がする。
心配事が減ったというのか。

とにかく、希望がもてるうちはまだ大丈夫。

買い物作法

不必要なものは買わないという大前提で話を進めます。

まず、必要なものでも、実際に買ってみて使ってみると、
全然使えなかったことが何度も!あります。
そのたびに自己嫌悪に陥るのです。「なんで使えないものを買ってしまったんだろう」と。
でも、お試し期間なんてないので、買わないと使えません。
だから、たとえ使えなかったり合わなかったりしても、事前に下調べをして、サイズを測って、さわり心地も試して、あらゆる吟味を重ねた上であれば、それは可抗力なのです。

というわけで、必要なものを買って使えない場合は、
「あちゃ!はずれた!」と思うことにします。
それで終わり。
必要なものなので、買わないわけにはいきませんが、
そりゃなんでも都合よく揃いません。

「都合よく」

ここが肝ですね。
この世の中、自分の都合なんておかまいなしです。
なぜなら、この世の中に「都合」なんてないからです。
「都合」は私の、あなたの、みなさんの頭の中に、分子レベルか量子レベルかわかりませんが、「反応」としてあるだけです。
存在しないものに世の中が沿うわけありません。

だから、欲しけりゃ買う。で、役に立たなかったら別なのを買う。
金がなければ貯める。金がたまっても尚必要なら買う。

もう駆け引きとかそういうややこしい話なんて全然関係ないですね。
普通に何の準備も気構えも必要なく、単純な対処法で良いのです。

今日は会社で使うクッションを、昼休み中に買いました。腰が痛いので。
でも、椅子にも体にも合いません。なので、これは家で使います。

いじょう。

転機?

音信不通だった友人が、突然電話してきた。
彼が生きていたことを確認できただけでもよかったが、
彼はなんと静岡にいるという。
僕が「住みたいなぁ」と思っていた土地だ。
今まで藁を掴んで耐えていた現状だが、もう大変疲れました。へとへとです。
何もかも捨てて、僕も静岡に行きたい。

状況は全然改善しない。どうしたらいいんだ。
本当に死ぬまでただひたすら耐えなきゃいけないのか。
それだけか。

後でこの日記を読み返して、「若いなぁ」とかほざいている自分が、ちゃんと未来にいるんだろうか。

他人に依存しない

自分の行動を他人に依存しない。
つまり、損得勘定で行動しないということだ。

「あいつはあそこまでしかやらないから、ぼくもここまでしかしない」
「あの人がここまでやってくれてるんだから、わたしもやってあげよう」
「オレはこんだけやってんのに、なんでおまえは何もしてくれないんだ」

損得勘定は所詮自分だけに適用されるもので、実は他人は関係ない。
他人には他人の損得勘定(つまり都合)があるだけだ。
そんな他人に依存していては、自分の可能性を狭めてしまう。
他人は他人、自分は自分と割り切ろう。そして、損得勘定は実益に基づこう。例えば、「あいつがあそこまでしかやらない」ことで、あなたが実害を被っていなければ放置する。この場合の実害とは感情論以外の害。
その見極めが一筋縄ではいかないんだけどね。
ほんと感情とか邪魔だわ。