もう試練とか乗り越える壁とかどうでもいい。
世の中には自らを省みることもなく、平気で他人を押しのけて、人間的な未熟さを恥じ入ることもなく、平気で他人を不快にさせる人間が多いなか、しかも、そういう人間が人の人生を担う「経営者」に多いなか、なぜ普通の人間が不運をこうむるたびに耐えたり、自省からよりよい人間になろうと精進しなければならないのか。
完璧な人間などこの世にはいないし、そもそも万事が相対的なこの世の中で、何をもって「完璧」というのか。
そういう偶像を追うのをやめて、ありのままの自分で生きていこう。
ばかな人間の相手をしている時は、素直に「馬鹿だ」と思えばよい。「こんな人に対しても、大きな心で接しなければ」などと思うことはない。
そういう痛い人や出来事に遭遇することで、怒ったり避難したり自分を哀れんだり嫌悪したり、そういうのは確かに無駄だ。わざわざ正面衝突するようなものだ。
しかし、だからといって自分に負荷をかけることもない。
馬鹿は馬鹿だし、卑怯者は卑怯者だ。
それらを正しく見極め、必要なら回避する。
進路変更は撤退や退化ではないのだ。