日常

晴天

今日は天気が良かったのでほぼ家事に費やした。
特にキッチン周りを念入りに。

我が家は物が多すぎる。
減らしたい。
もっとシンプルに生活したい。
ストックなんていらない。

車で1時間ほど北上したところに、お気に入りの公園がある。
ビーチに併設されている公園で、屋根付のテーブルがあり、そこに座って持参のアイスコーヒーとか飲みながら、絵を描いたり本を読んだり音楽を聴いたりするのが好きだった。

でも、もう2年以上行ってない。
「行ってもどうせ何も変わらない」
「行ってもどうせ帰ってこなくてはならない」
「行くだけ無駄」
そんな思いが強すぎて、とても足を運ぶ気にはならなかったが、
来週辺り行ってみようかと、掃除をしながら思った。

今日は家の近くでライブをしてた。
商業施設に設営された臨時のステージで、若い女の子が歌を歌ってた。
その音が家まで届いて少々うるさい。
でも彼女は一生懸命だ。近所の人間がうるさがっているからといって、
彼女に手を抜く義務はない。
田舎の人より街の人の方が圧倒的に外界に無関心だ。
当然のことでもある。
外界にいちいち反応していたのでは、とても自分のペースで生活などできない。
街の中で暮らすというのはそういうことだ。

しかし、無関心にもマイナス面がある。
無関心でもストレスは溜まる。つまり、無関心なのではなく、無関心を装っているのだ。
そりゃそうだ。ロボットじゃあるまいし、都合のいいときだけ聴覚機能をON・OFFできるわけじゃない。
その小さなストレスが積もり積もっても、外界の人は無関心だから、その変化に気づかない。
そして、ストレスが限界に達したとき、その凶暴性があらわになるが、外界の人はそれが突然現れたような錯覚に陥る。

でも、人の心は瞬間的に崩壊しない。
それを食い止めることができるのは、環境の変化だけだと思う。
だからこそ、気分転換は意味がある。外出も旅行も引きこもりも。

掃除の最中、若い女の子の歌声を聴きながら、そんなことを考えてた。

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