わが社の代表には手を焼く。
「まったく、なんの因果でこんなめんどくさい人間の会社に就職したのか?」と思う。
これも立派な不運なんじゃないかと。
しかし、この世は自分の力でなんとかなるものもあれば、いくら努力しても警戒しても、どうにもならないことだってある。
代表の存在(もしくは縁)もその一つ。
だから、僕は今日から、他人を映画の中の登場人物だと思うことにする。
同じ画面の中で上映されている映画というわけだ。
映画の登場人物と思えば、嫌いな人間だからといって、映画監督に「なんであんなやつ登場させるんだ!」と文句をいうわけにはいかない。
また、登場人物だと認識することによって、僕は単なる傍観者になれる。
たとえ僕がよけいな仕事を振られても、実害がなければ気にしない。
映画に出てくる登場人物でも見るように、「アホな人だ」とか感想を、脳内でつぶやいたりする。
そして、そこから学べるものがあれば、自分の人生に生かしてみる。
たとえばブラック企業に勤めてしまって、精神衛生上よくないと感じれば、
仕事は辞めつつ「妙な会社だ」という感想を脳内でつぶやく。
なぜ自分がそんな会社に就職しなければならなかったのか?
この映画はなんでもありなんですよ、お客さん。
いやいや、話がそれてきた。
何がいいたいかというと、出来事をそのまま解析すればいいだけで、そこに「他人に対する自分の感情」がからむと、冷静な判断ができなくなる。