休日の過ごし方

今日は祝日で仕事は休みだった。
休日の前日は「あれしよう」とか「これしよう」とか思うのだが、
いざ当日になってみると何もする気が起きない。

で、何をしているかというと、同じ映画を何度も見ている。
本を読む気さえ起きない。

そのくせ、時間はあっという間に過ぎる。
まったく困ったもんだ。

なぜこうもやる気が起きないのだろうか。
理由に心あたりがないでもない。
平日に精力を使い果たしているんだと思う。

そういえば、父親の姿と同じかもしれない。平日は帰りが遅いくせに、休みの日は一日中ゴロゴロしている。
どこかに連れて行けとせがんでみれば、十中八九は「こんどね」という答えが返ってくる。
当時は憤りを感じていたが、そういうことだったのかと今更思う。

この世は何かが間違っている。
みんな身を削って生活している。
裕福な人間でさえ、心まで平穏だとはとても思えない。
みんな何かを犠牲にして、もしくは誰かに犠牲を強いて生きているのだ。

僕はスタートレックのファンだ。
ファースト・コンタクト」という映画の中で、
メインキャストの一人であるピカード艦長は「24世紀に貨幣は存在しない」と言った。
人々は使命感で仕事をしている。つまりボランティアだ。

ではどうやって生活しているのか。衣食住はどうしているのか。

理由は簡単だ。衣食住を満たすインフラが整っているのだ。
科学技術の発展によって、衣食住はサービスを購入しなくても満たすことができる。
人々はインフラをメンテナンスできるだけの教養を持つことができる。
時間があるからだ。

現在でもフリーウェアやオープンソースという概念がある。
昔は◯万円も出さないと買えなかったアプリケーションが、今では無料で利用できる場合もある。
つまり、使命感や好奇心で何かを成し遂げる土壌はあるのだ。
そして、もし人々が衣食住を心配する必要がなかったとしたら、
精神面はもちろん、文明のレベルも大幅に向上することができるはずだ。

それを実現するためには、みんなが真剣にそういう生活を求めることだ。
そして、それを目指す社会を作ることだ。
今のままでは、幸福よりも不幸が先にやってくる。
その足音が聞こえている。カロウシビョウキジサツニートショウシカカクサナドナドナドナ…

はぁ、誰かレプリケーター発明してくれないかな。

RPGでレベルアップするために戦いまくるのが苦手

ゲームは全般的に苦手なんだけど、特にRPGが苦手。
レベルアップしないと次のステージにいけないでしょ。行ってもこてんぱんにやられるだけ。
でも、レベルアップするためにはひたすらモンスターと戦わないきゃいけない。それが嫌だ。

…といっても、「レベルアップのためにモンスターを殺しまくるなんて非道い!」なんていうメルヘンチックな理由ではなくて、単純に退屈だから。同じ作業の繰り返しだからね。

たとえば、何か職人技を習得しようと思うとき、修行期間が10年とかいわれると気絶しそうになる。
マトリックス(映画)みたいに、瞬時にダウンロードとかできたらなぁと思うくらいです。

で、話は変わって私生活。
今はとてつもなく退屈でつまらない日が続いていますが、実はこれもレベルアップのための戦いなのかもしれません。
戦っている相手は沢山います。
容赦なくやってくる日々。出会う他人。数々の出来事。未熟な自分。
これらすべてと戦っているわけです。

昼休憩の散歩

昼食はおにぎりとほうれん草のバター炒め。
おにぎりといっても梅干と青菜のみじん切りが練りこまれていて、結構デカイ。
ほうれん草のバター炒めも、5口くらいで食べ終わる量だが、ポークの数片入っていて、卵で和えてある。おやつにサンドイッチの残り半分を食べるで、昼はこれくらいでちょうど良い。

で、軽い昼食はあっという間に終わり、昼休憩はいつも30分以上時間が余る。
そこで会社の近辺を散歩するわけだ。
最近は天気も良く気温も適温。散歩にはもってこいの日和だ。今まで歩いたことのない道をわざと選んで、適当に歩く。

時々迷子になりかけて午後の業務に遅れたりもするが、
そんなことは気にしない。3分遅れたからって何が変わるってんだい。

散歩は良い。
知らない道は面白い。
動くと暖かい。
坂道を行けば、運動にもなる。
なにより、散歩中は何も考えない。景色に気を取られているのだ。
一日中デスクワークの身には、大変貴重な時間になってます。

画像の下にできる隙間

スタイルシートを利用してデザインしていると、画像の下の方に妙な隙間ができることがある。
imgタグのmarginやpaddingを0にしても隙間が消えず、「なんじゃこりゃ」と思って色々探していると、どうやら「vertical-align」というものが悪さをしているようだ。いや、悪意はないんだろうけど。

この「vertical-align」というのは、行内における垂直方向に位置なんだそうだ。

たとえば「g」や「y」など、足が出るアルファベットが、ベースラインから足を突き出して表示するか、足までベースライン上に出すかを指定するものだ。

しかし、今回は画像のみで文字列は入力していないのだが、他に方法もないので、imgタグのスタイルに「vertical-align」を「bottom」にしてみた。

すると、隙間が消えた。
理由は不明だ。

この世、人間、時間、重力

頑張っても報われないこともある。
正義が負けることもある。
正しいと信じていた事が実は違うこともある。
弱肉は強食される。
理不尽で金が集まる。

行動的な無神経が、
受動的な繊細より優れているというのなら、
この世は何を目指しているのか。

世間が「逃げた」という烙印を押した人々こそ、本当は勇者なのかもしれない。
ここは戦場なのだ。
いずれは消えてなくなるのだ。

かつてガリレオを否定した人間たちがいたように、
我々もまた未熟で盲目で、
常に何かを犠牲にしながらその鎖を繋いでいるが、
それは真理ではない。

世の中には、たとえ道が閉ざされると分かっていても、戦場から脱出を試みる人だっているのだ。

昔、沖縄戦を舞台にしたドラマがあって、
主人公役の明石家さんまが、
負傷した米兵を射殺しろという上官の命令を拒否して、
逆に上官から撃ち殺されるシーンがあった。

現代を生きるということは、あの時米兵を射殺することと同じなんじゃないだろうか。

みんな傷だらけなのに、
なぜ、次の日にはその傷が癒えるのか?
癒えているのか?
癒えてないけど、痛みを感じないだけなのか?

生き方を変える時だ。
いったい何に執着しているのか。
夢の中で自分を縛る重力と、
現実の重力の違いはなんだ?