「我ら等しく奈落の底に住むが、そのある者は星々を見つめる」



By オスカー・ワイルド(「ウィンダミア卿夫人の扇」より)

原文は「We are all in the gutter,but some of us are looking at the stars.」

元々の出自はアーサー・ケストラーの「機械の中の幽霊」から。

随分昔に思ったことだが、人間はたとえ同じものを見たとしても、
その感じ方は一様ではないのに、そのことすら気づかない人々が、感受性の高い人々を捕まえて、人生何でも知っている的な口調で、色々と言っていることがある。
どちらが正しいという類のものでもないのかもしれないが、どうしても理解できないこともある。
その最たるものが、自殺者に対する言動。

犬のようにただ耐える

日々を送れば、色んな事がある。
色んな事が起こる理由は、色んな人がいるからだ。
同じ人でも色んな事は起こるけど、人によって起きる出来事に比べれば、大した変化とはいえない。
一番の苦痛は、色んな事が起きると知っていることだ。

進む方向に障害があると知った上で歩くのと、知らないまま歩くのとでは、どちらが幸せなんだろう。

例えば不慮の事故。
前もって出来事を知っていれば、避けることができるだろう。
しかし、もし避けることできない出来事だったら。

我が家の犬は、家族がみんな出払って一人留守番を強いられても、雨が降ってるために散歩が中止になっても、ただひたすら耐える。
他人に文句をいうどころか、自分の存在を否定することもなく、ただ耐える。
そして、僕が仕事から帰ったきた時は、全身を使って喜ぶ。
そこまでして大喜びする姿を見ると、切なくて涙が出てくる。
「外で外道みたいな人間の相手をするために、なぜこの子が寂しい想いをしなければならないのか」

世の中には、そういう状況に置かれた人々が、それでも尚歩みを止めずに突き進んだこともあるだろう。

その動機はきっと、何かを守るためだったかもしれない。

不治の病にかかった人。
福島原発の決死隊。
太平洋戦争の特攻隊。

僕にも同じ事ができるかどうか、はっきりいって自信がない。
まったくすごい人たちだ。

他人と戦わなければ生きていけない世の中だけど、それでも歯を食いしばって生きている人を心から尊敬する。

またきた「無軌道残業」

前回の深夜残業は唐突だったが、
今回は予感も予告もあった。

でも、受ける気分は変わらない。
あいかわらず、手際の悪さに開いた口がふさがらず、
気が付いたら午前1時30分。お、前回よりは1時間早い。

午後10時半ごろに弁当買ってきてくれたが、
幕の内弁当を半分も食えず。
旨そうだったんだけどね、油ギッシュだったのさ。

しかし、どうやらこの世界では、

どうしても他人と戦わなければ生きていけないようだ。

なぜ戦うのか。
それは「他人に利用されないため。
何も言わないと「お、まだ負荷かけても大丈夫だ」と感じるのか、
遠慮も礼もかなぐり捨てて漬け込んでくる。
それをさせないために「いい加減にしないと怒るよ」という表情を見せておかなければならない。

そういう意味において、会社の先輩2名は、うち一人が戦うに勝利し続け、
もう一人は負け続けている。

ブッダは「こだわるな」と言った。
「執着するな」と言っていた。

だからまだ気にしない。
あくまでも事実は事実と認識するが、
「だからどうだっていうんだよ」ってな心境で、
とりあえず歩みは進める。

しかし、ちょっと戦ってみようかとも思う。
そのためには、やはり「執着しない」心が必要だ。
何が起こっても動じない。たとえそれで孤立しても。

勝利し続けている先輩は、会社内では一番の常識者だ。
彼の言動を見ながら学べばよい。

そうしよう。そう決めた。
以上。思考は停止。実践あるのみだ。

 

平和

朝は7時に起き、コーヒーメーカーのセットをしてから顔を洗う。
ソファに戻ってヨーグルトを食べ終わると、コーヒーが出来上がる。
ニュースを見ながらコーヒーを飲み、昼食のおにぎりを作ってもらいながら服を着替える。
そんな朝をのんびりと過ごし、8時に恋人と犬に見送られて出勤。

通勤途中でコンビニに寄り、 今日の分のタバコを買う。
8時半には会社につき、朝の掃除をする。
それから仕事。ほぼパソコンの前で過ごす。

12時に昼休憩。近くのショッピングセンターでおにぎりを食べ、
少し休憩して散歩。
時々散歩しないでカフェでコーヒーなど飲んだりするが、
どうもじっとしている方がしんどいようだ。
昼は散歩に限る。

午後も黙々と仕事をする。
会社以外の人に会うことももない。
たまに電話に出るくらい。
あとはひたすらパソコン相手。
しかも、最近はプログラムをさらっていない。
デザインやホームページに掲載する記事の文面を考えてる。
あとはパワポで資料作ったり。

で、7時前には仕事が終わる。
終わらそうと思えば6時には終わるが、
そこは会社の雰囲気を見て決める。
実際昨日は7時に帰ったし、今日は6時半に帰った。

家について晩御飯を食べる。
恋人が作ってくれたり、僕が作ったり。
最近は軽め。白米を食べるときも、半合もないくらい。
サラダは旨い。野菜が旨い。

その後は本を読んだり、音楽聴いたり、
滅多にないが、テレビをみることもある。

で、10時になって風呂に入り、
明日のおにぎり用の米を予約炊飯して、
眠剤を飲み、眠くなるまで布団の中でスマホをいじる。

これが今の日常。

神様、僕はこれで十分です。
これ以上は何も追加しないでください。
人事は十分尽くしますので、どうか波乱は起こさないでください。

と、毎日を感謝しながら祈る今日この頃。

 

友人との待ち合わせのため、真昼間に外出。
空のどこを捜しても雲がない。

やっと服を着込まなくても歩ける季節がやってきたようだ。
夜はまだ寒いけど、太陽が出ればほとんど夏。少しでも外を歩こうものなら、
日焼けで体がヒリヒリしてくる。

カフェでランチを食べ(カレー食べたかったのに、最後の1食を友人に取られたorz)、
アイスコーヒーを飲みながら少し休憩。
その後写真展へ。現代の街と昔の街を見比べるという主旨の、懐かしさを感じさせる写真だった。
といっても、僕らの時代よりさらに昔の写真なので、個人的には懐かしさより新鮮さが強かった。
「あ、昔はこんな街だったのか」っていう感じ。

その後時間が余ったので、本屋へ。
しかし、今この時点でほしい本はなく、そのまま友人と別れて帰宅。
夕方くらいに家に着いた。

実は欲しい本をamazonで注文していた。
すでに絶版になっている「沖縄シャウト」という本だ。
マーケットプレイスで一昨日注文したので、そろそろ来る頃だ。
でも、今日は日曜だから、届くのは明日かなと思いながらポストを開けると、届いてた。


古本とは思えないほどきれいな本だ。しかも、定価の半額。なかなかいい買い物だ。

早速読み始め、その夜に完読。
なかなか読み応えのある本だった。
この本を買おうと思った一番の理由は、紫やアイランドという沖縄バンドのメンバーであった城間兄弟について書かれていたからだ。
本を読む前に仕入れていた断片的な知識だけでも、彼らの人生が波乱に満ちていたことが想像できるが、
この本は彼ら自身が取材対象となっている章があり、より深く彼らを知ることができると思った。

そしてもう一人は、この本を書いた作者である砂守勝巳氏。
自身の事も本の2章分を割いて書かれている。
城間兄弟同様、米軍統治下の沖縄で、外国人の父を持つが、幼くして父と別れる。
この本で彼の生い立ちと、分かれた父との再会が語られている。
僕は以前に「沖縄ストーリーズ」という本を読んだことがあり、
そのとき砂守氏の存在を知った。
そして、彼が城間兄弟の事を本に書いていることを知ったが、
当時すでに入手困難となり、復刊を望んでいたが未だにかなわず、
今回マーケットプレイスで入手した次第だ。
つまり、城間兄弟と同じく、僕は作者自身にも興味を持った。
そして、その興味は僕自身納得できる動機から生まれたものだった。
いわく、「彼らはなぜ前向きに生きていられるのか」

この本に出てくる登場人物は、皆自己の責任外にある過酷な人生を生きている人々だった。
僕なんか足元にも及ばない理不尽な「この世」で、前向きに生きている姿が生き生きと語られている。

作者自身は2009年に他界してしまったそうだが、
この本は全く色あせることなく、今でも人間の強さみたいなものを、ありのまま伝えてくる。

理屈や哲学が含まれているわけではない。
ただ読むだけで、ちょっと前向きになれる気がするから不思議だ。

◎本日のノルマ
運動:外出時は歩いた。
執筆:まだまだ!