これはやっちゃダメ。反則。
相手が嫌いだからといって、「面倒」って理由で相手の要望を否定しちゃ駄目。
プロなんだから。
相手が嫌いだからといって、「面倒」って理由で相手の要望を否定しちゃ駄目。
プロなんだから。
自分に苦手なことが一度できたからといって、早合点しない。
その場を乗り切るための一時的な神通力かもしれない。
人間誰にでも「得手不得手」はあるものだ。それを一様に「乗り越える壁」と信じて越えようとするのは、無駄な努力と同時に「個性」を否定することでもある。
「乗り越える壁」というのは、大抵本人にも「乗り越える壁」という自覚があるものだ。いや、はっきり自覚できるまでは逃げ回る。
それは「苦手」だという理由で止まってたから。克服するための努力を続けなかったから。
嘘だと思うなら、得意なことと比べてみればいい。していることの違いはなんだ?
何でも簡単にはできない。どんなことでも習得するためには困難が伴う。困難に立ち向かってこそ、得たいものを得ることができる。
しかし、本当に言いたいことはそこじゃない。
なにをやるにも困難が伴うなら、やりたいことをやればいいということだ。やりたいことであれば、その中に苦手な要素があったとしても、きっと手に入れられる。
個人的にはなると思う。
最初は勢いに任せて「辛い」「しんどい」とか書き始めても、書いている途中で「あれ?」と思う。
その「あれ?」の最大のきっかけは、書いている最中に「悲観する必要がないじゃないか」と感じることだ。
もっと言うと以下のような感想。
「自分の責任ではない」
「不運のうちには入らない」
「あ、僕関係ないや」
結局思考は自己完結の世界で発生しているのだ。
実際、出来事の解釈は十人十色で数学的な正解などない。
「試練」は存在しない。
自らがそう課しているだけである。
「空元気も元気の内」←これは違う。これだと単に負の遺産が蓄積されるだけだ。
空元気とポジティブ・シンキングは違う。元気がないときはおとなしくしていればいいのだ。
まぁ何が言いたいかというと、過去の記事を見ても分かるとおり、マイナスの文章が、途中から冷静になっていることがあるということだ。考え方が変わったり。
端から見れば飄々と生活しているように見えるかもしれませんが、
心身ともに絶不調です。
しかし、働かざる者喰うべからず、金のためにそりゃもう無理やり仕事してます。精一杯です。
でも、訓練の成果かどうか、あまり考えないようになりました。
「煙草吸いたい」って思ったときに、「あっそ」という感じで無視できるようななったのと同じです。
「人生辛い」と思ったとき、「あっそ」どころか無反応になりました。気にならない騒音みたいなものです。
十代のアイドル少女たちの方が、僕なんかより、よっぽどひどいストレスを受けているはずだ。
彼女たちのように一生懸命がんばっている人を見ると、ただひたすら尊敬します。
アホな大人の方が多いだろうに。でも笑ってないといけないとか、凄まじい。。。
あ、それからついでに言いたいことが1つ。
企業は営利目的のために存在すると思っている。確かに法律にもそう書いてある。
だけど、普通に考えてもそんな道理はありえない。
そんな程度で納得できるから、子ども食い物にしても平気なんだと思うし、
そんな大人たちのせいで、子どもたちの心が変な形にゆがまないことを祈る。
っていうか、なんでアイドルの話してんだ??
ま、いいか。これで検索エンジンにひっかかれば儲けもんだ。
がんばっている人々のことを、こうやって文字にするだけでも、結構励みになったりするし。
十人十色とか千差万別とかまぁ、一方では個性を謳う思想があり、
もう一方には「あの子があれだけがんばってるんだから、あんたもしっかりしなさい」という類の思想まである。こちらはなんと言っていいかわからない。固有名詞とかあるのか?同類思想とか。人間皆同じ思想とか。アホか。
とにかくなんとかなってくれ。
これでも人事は尽くしているつもりだ。
あくまでも耐える。ただ耐える。
修行僧が「悟りとは」とか考えて修行していたら、絶対千日回峰行なんか無理。
あれは一部の隙もなく自分のやっていることを疑わないことが重要なんだろう。堂入りの最中に「なにやってんだ僕」って考えが頭をよぎったら、そりゃしんどいわ。
というか、小さな亀裂が大きくなって、最終的に崩れ落ちてしまうようなものか。
あぁ、また話が迷走してるな。
まあとにかく、集中しろ。周りに惑わされるな。