何度も書くが。

今おまえがやるべきことは何も考えないことができるようになること。
それだけ。
身体的な不調は、心配しなくてもいいはず。今までもずっとそうだった。
大丈夫だ。心配するな。
これは次のステップに上がっている証拠だ。階段を一段登るとき、足の筋肉にかかる負荷みたいなものだ。
なにも考えずに、何の感情も憂いも感想も持たず、やるべきことだけ頭の隅に置いたままで、ただ黙々と日々を生きろ。
おまえはそれだけしていればいいのだ。
これは悪化じゃない。進化だ。なぜならすでに自覚しているから。
おまえが信じている「神」ならば、自覚した者に追い打ちをかけるような無駄はしない。登れない階段は無意味だ。
だから何も心配はいらない。不安に思う必要もない。
以上。今から思考を停止せよ。必要とあればブログも止めよ。

深呼吸。

終わり。

資料作成時の無茶ぶり対策

「とりあえずやっといて」的な指示だけ出し、具体的な話をしない。当然ラフにまでまとめることもない。
仕事を降られた側は、結局一から自分で考えて資料を作るが、完成品が指示を出した人間の意図を汲んでいるかどうかは定かではない。
なぜなら、指示をする人間がそこまで具体的な指示を出さないから。
なぜ具体的な指示が出せないのか?
それは、彼の頭の中にも具体的なイメージがないからだ。
通常はそのためにミーティングを開いて、各自の意見を聞いて具体化し、ラフを起こしていく。
ラフを起こす人間が被指示者であったとしても、ラフを作成するために必要な情報は提供しなければならない。

さて、それなのに、なぜ指示者は具体的なイメージを持たないうちに指示を出すのだろう。
答えは考えるのが面倒くさいから。
だから被指示者にとりあえず資料を作らせて、それをたたき台にして自分のイメージを広げる。
ただし、そういう人間に限って虚栄心が強いもので、自分のイメージと違うことを書いている場合は、ここぞとばかりに相手を中傷する。そうすることで「オレはちゃんと気づいてるんだぞ。おまえが知らないことも知ってて、ちゃんと指摘もできるんだぞ」とアピールするのだ。
しかし、被指示者はちゃんと気づいてる。「だったら最初に言えよ」と。「知らなかったから最初にいえなかったんだろう」と。

そこで被指示者は、資料作成の際にたいした情報もなく「じゃあよろしく」と言われたら、「ちょっと待ってくれ」と言う。
「これでは情報が足らないから、もっとヒアリングをしたい」と言う。
そのとき指示者が「忙しい」といえば、被指示者は「じゃあ作業はできません。私はエスパーじゃない。情報もないのに資料なんて作れない。あなたもクライアントから予算も決まってない状況で仕事請けたりしないでしょ」

もしこの時点で指示者の態度が悪い場合は、その指示者の上司に直談判する。
もしくは退職する。そんな会社はどうせ好転などしない。まずは自分の身を守ることだ。我慢が常に正しいとは限らない。我慢が善なら、脱藩した竜馬はどうなる?

さて、話を元に戻すか。

ヒアリングが出来たら、最終的なラフを作るために必要な情報を予めあげておく。
もしくは資料の規模が小さい場合は、ヒアリングの席でラフまで作ってしまう。
そして、ラフの場合は指示者のサイン。ラフがない場合は議事録を書いてメールする。これが証拠になるし、後で文句言ってきたら「議事録に書きましたけど」と言う。
それで話がこじれるようなら、指示者の上司に言うか退職する。

とりあえずこんな感じ。

ヒアリングでも考えるのを面倒がって話しをしない指示者に対しては、とにかく質問をしまくる。
それでも態度が好転しない場合は「これでは仕事はできません」と言って逆切れする。

他人に期待しない

前にも同じような事書いたっけ?
まあいいや。反復は記憶向上の有効な手段だ。

これは何も諦めから出た言葉ではない。

思考は勝手に暴走しない。

暴走させてるのは自分自身。
暴走する要因を、わざわざ自分で探している。
だけどよく考えてみてほしい。
今までそんなことなかっただろ?
思考の暴走を意識し始めたのは、医者に指摘されてからだろ?
でも、自分でコントロールできるかどうか、試したこともないだろ?
医者に言われて「あ、そうなんだ、病気なんだ」って、薬飲んでただけだろ?

今の自分がやるべきことは、何も考えないこと。
それだけ。
それ以外にする必要もないし、医者も薬もいらない。
考えないようになれば眠剤もいらなくなる。
思考をコントロールする訓練のために、坐禅の勉強もしているじゃないか。

とにかく考えない訓練を繰り返して慣れること。それだけやってればいいのだ。
なんてわかりやすい人生だ。
そうだろ?